フィリピンへの進出を検討する日系企業の担当者からは、「物価が安い」、「日本よりコストを抑えられるはず」という声をよく聞きます。たしかに、地方都市の食費や交通費など生活コストの一部は日本より低い水準です。しかし、ビジネスコストという観点では、フィリピンは決して安い国ではありません。
本記事では、フィリピンでの事業運営にかかるコストを「進出(設立)」「維持管理」「撤退(清算)」の3ステージに分けて、主要項目ごとに相場感をお伝えします。進出前の資金計画や事業計画の精度を高める際の参考としてご活用ください。
なお、記載の金額はいずれも執筆時点(2026年)の目安であり、地域・規模・条件によって変動します。また、為替レートはおおむね1ペソ=2.6〜2.7円を目安にご換算ください。
ステージ① 進出・法人設立にかかる費用
公的機関への登録費(実費)
フィリピンで法人を設立する際には、SEC(証券取引委員会)、BIR(内国歳入庁)、LGU(地方自治体)、DOLE(労働雇用省)、SSS・PhilHealth・Pag-IBIG(各社会保険機関)など、複数の公的機関への登録手続きが必要です。
これらにかかる実費(登録料・印紙代・公証費など)の総額は、払込資本金(paid-up capital)のおおむね1〜1.5%程度が目安です。外資100%の法人に原則として求められる最低払込資本金はUS$200,000(約₱12,000,000)であるため、実費だけでも₱120,000〜₱180,000程度になることが多いです。これに書類の公証・翻訳・認証費用(アポスティーユや領事認証を含む)が別途₱20,000〜50,000程度加わります。
専門家への委託費
法人設立の手続きは複雑で、書類の準備から各機関への申請・フォローまでを自社で完結させることは現実的に難しいため、ほとんどの日系企業が専門家(会計事務所・法律事務所・エージェント等)に委託します。委託先の種類によって費用感は大きく異なります。
日系会計事務所・コンサルティング会社等
日本語でのコミュニケーションが可能で、日系企業特有のニーズや本社との調整に慣れています。設立手続き一式の委託費用は、₱300,000〜700,000が目安の相場です。資本金の送金・資本移転の対応、PEZA登録、定款・内規の整備なども含めた包括的なサポートでは、上限がさらに上がることもあります。
グローバル系法律事務所・Big4系アドバイザリー等
世界的なブランドと高度な専門性が期待されますが、費用は大幅に高く、設立手続き一式で₱500,000〜1,000,000程度が目安となります。
ローカル系エージェント・法律事務所
コスト面では最も低く、₱100,000程度から依頼できるケースもあります。ただし、英語または現地語でのやり取りが基本となり、日本語対応は期待できません。日系企業の取り扱い実績は非常に限定的で、コンプライアンス対応の品質や書類の正確性にばらつきがあるため、選定には慎重な判断が必要です。
ステージ② 事業維持・継続にかかる費用
会計・税務の委託費
フィリピンの税務申告は、月次・四半期・年次と申告頻度が高く、対応する書類の種類も多岐にわたります。日本の税務申告と比較すると、月ごとの申告作業量が相当多いのが実情です。そのため、特に小規模な事業所においては、会計・税務をアウトソースするのが一般的です。
日系会計事務所
日本語での報告書や本社向けレポートの対応も含めて依頼できるため、駐在員や日本側の管理部門にとって連携しやすいのが特長です。従業員数・取引量・業種・業務範囲によって異なりますが、小規模法人(従業員1〜10名程度)の会計・税務代行で月額₱30,000〜120,000が目安です。給与計算・支払代行・本社向けレポートなどをパッケージに含めると、それ以上になるケースもあります。
グローバル系会計事務所(Big4等)
大規模法人や内部統制・監査対応が求められる案件に適しています。月次サービスで月額₱100,000程度がスタートになることが多く、中小規模の進出案件ではコストに見合わないことがほとんどです。また、Big4では、会計監査を別途受注している企業に対して、会計代行を同時に提供できないケースがあるため、サービスが限定的となる場合もあります。
ローカル系会計事務所・個人CPA
最もコストは低く、月額₱10,000程度から依頼できることもあります。ただし、申告の正確性・期日管理・コンプライアンス品質にばらつきがあるため、依頼する側がある程度の知見を持って主体的にコントロールできないようでは、将来的な問題に発展する可能性も高いです。
法務関連の委託費
株式会社の場合、法定役員としてCorporate Secretary(秘書役)とTreasurer(財務役)を置かなければなりません。自社従業員が担えればコストがかかりませんが、特に秘書役は素人が担えるような役職ではなく、外部の専門家に委託するケースが一般的です。
秘書役をアウトソースした場合、月額で₱10,000〜₱30,000程度が目安となります。財務役をアウトソースした場合は、月額で₱5,000〜15,000程度が目安です。
フィリピン支店・駐在員事務所の場合は、秘書役と財務役の代わりに、居住代理人というポジションが必要になります。居住代理人もアウトソースされるケースが多く、月額で₱7,000〜20,000程度が目安となります。
それ以外にも顧問契約や個別業務を委託する場合には、弁護士等の単価に応じた金額が加算されることになります。
会計監査の委託費
フィリピンにおいては、ほぼすべての企業に対して外部の独立監査人による会計監査が義務付けられています。売上の発生しない駐在員事務所であっても、現時点では会計監査が義務です。
Big4等の監査法人
小規模法人(従業員1〜10名程度)を前提とした場合、₱300,000〜500,000程度が目安となります。グループの方針で起用する場合などを除き、小規模法人や駐在員事務所であれば、あえてBig4を起用する必要はないかもしれません。
中堅監査法人
同じく、₱100,000〜150,000程度が目安となります。費用感、業務品質、柔軟性などを考慮すると、多くの小規模法人にとって有力な選択肢となります。
個人の監査人
同じく、₱50,000〜100,000程度が目安となります。前述のとおり、品質のばらつきなどは懸念されますが、もし良い監査人(CPA)が身近にいるようであれば有力な選択肢です。
税金
税金(法人税・VAT・源泉徴収税など)については、その年の売上・利益・取引構造に依存するため一概に示すことは難しいですが、フィリピンの税負担は日本と比べて大きく変わるものではなく、適切なコンプライアンス維持のもとで事業計画に織り込んでおくことが重要です。
社会保険料(事業主負担分)
従業員を雇用する場合、SSS・PhilHealth・Pag-IBIGへの事業主負担が発生します(執筆時点の目安。改定される場合があります)。
SSS(社会保険)の事業主負担は、段階的な引き上げにより執筆時点でおおむね賃金の約15%前後となっています。PhilHealth(健康保険)は月額賃金の5%のうち事業主が2.5%負担、Pag-IBIG(住宅融資基金)は2%(上限あり)です。月収₱30,000の従業員1名あたりの会社負担合計は、おおむね月額₱3,500〜5,000程度が目安です。従業員規模が拡大するにつれてこの負担も比例して増えるため、採用計画と合わせて事前に試算しておくことをお勧めします。
オフィス費用
マニラ首都圏の中でも、多くの日系企業がオフィスを構える3大ビジネス地区(マカティ、BGC、オルティガス)のオフィス賃料は、₱1,000/㎡が一つの目安となります。エリア、ビルのグレード、築年数、内装など様々な要素があり、当然それらにより賃料は変動しますが、ざっくりとした平均値が₱1,000/㎡です。
また近年急増しているサービスオフィスの場合、平米単価としては跳ね上がりますが、高い利便性と柔軟性があるため、特に設立当初においては有力な選択肢となります。登記住所のみが目的であれば、バーチャルオフィスという選択肢もあります。月額₱3,000〜5,000程度が相場で、設立当初のコスト圧縮に有効です。
水道光熱費・通信費
フィリピンの電気料金は東南アジアでも特に高い水準にあります。主要なプロバイダーはMeralco(Metro Manila Electric Company)で、産業用・商業用の単価はおおむね₱15/kWh前後(執筆時点)です。これは日本の商業用電力料金と大きく変わらないか、場合によっては上回る水準です。さらに、フィリピンは年間を通じて気温が高いため、冷房を常時稼働させる必要があり、電気代は想定より高くなりがちです。オフィスの規模・空調設備の効率によりますが、小規模オフィス(約50㎡)でも月額₱15,000〜30,000程度の電気代が発生することは珍しくありません。
固定インターネット回線は、Converge、Globe、PLDT、Infinivanなどが提供しています。法人向けの光ファイバー回線は月額₱5,000〜30,000程度が目安ですが、回線品質は地域やビルのインフラによって大きく異なるため、特にビル選定時には確認が必要です。冗長性を確保したい場合や、ビルの回線品質に不安がある場合は、モバイルWi-Fiルーターを補助回線として併用するケースも多いです。
携帯電話(法人SIM)については、Globe・Smart・DITOなどの主要キャリアが法人プランを提供しています。データ通信込みのプランで1回線あたり月額₱500〜2,000程度が目安です。駐在員や営業担当者など、外出が多いポジションでは1人1回線を会社支給とするのが一般的で、従業員規模に応じてコストは積み上がります。なお、キャリアによってエリアカバレッジや通信品質に差があるため、主要な業務エリアに合わせてキャリアを選定することをお勧めします。
水道料金は電気と比較すると低く、小規模オフィスでは月額₱1,000〜3,000程度が目安です。
人件費
フィリピンの最低賃金は地域によって異なり、首都圏では執筆時点でおおむね日額₱645〜700程度(月換算で₱16,000〜18,000相当)が基準とされています。
ただし、実際のビジネス現場では最低賃金ラインで採用できるのは単純作業職に限られ、エンジニア・経理・管理職などのスキルが必要なポジションでは市場賃金はそれを大きく上回ります。以下は職種・経験別のおおよその月次市場賃金の目安です(マニラ首都圏、執筆時点)。
- 一般事務・データ入力スタッフ(経験1〜3年):₱18,000〜25,000
- 経理スタッフ・ブックキーパー(経験2〜5年):₱30,000〜50,000
- 会計士(CPA資格保有者、経験3〜7年):₱60,000〜120,000
- シニアアカウンタント・会計マネージャー(経験7年以上):₱100,000〜200,000
- ファイナンスマネージャー・CFO(中小法人向け):₱120,000〜200,000
- 一般営業・カスタマーサービス(経験1〜3年):₱20,000〜35,000
- エンジニア・ITスペシャリスト(経験3〜7年):₱70,000〜200,000
月額の賃金以外にも、法定給付として以下のコストが追加されます。
- 13th Month Pay(13ヶ月給与):毎年12月24日までに、月次基本給の1ヶ月分を全従業員に支給することが法律で義務づけられています。実質的に月給の約8.3%が上乗せコストになります。
- 有給休暇(Service Incentive Leave):勤続1年以上の従業員には年間5日の有給休暇が法定付与されます。実務上は、有給休暇と病気休暇合わせて年間20〜30日程度付与されるのが一般的です。
- SSS・PhilHealth・Pag-IBIGの事業主負担分(前述のとおり)
採用にかかるエージェント費用は、年収の20〜30%程度を採用ごとに支払うケースが多いです。
社用車・ドライバー費用
日系企業の駐在員や経営者の間では、ドライバー付きの社用車を手配するケースも多いです。マニラ首都圏は慢性的な渋滞が激しく、公共交通機関やGrabのみで安全・効率的に移動することが難しいことが理由として挙げられます。
社用車をドライバー付で手配するケースが多く、月額で₱60,000〜120,000程度になるケースが一般的です。
ステージ③ 撤退・清算にかかる費用
法人清算の手続きと委託費
フィリピンでの法人清算(解散・清算)は、日本と比較して手続きが複雑で時間がかかることが多く、専門家のサポートなしに進めることは現実的ではありません。
主な手続きとしては、SECへの解散申請(Articles of Dissolution等の書類作成・提出)、BIRの税務クリアランス(Tax Clearance Certificate)の取得、LGUへの廃業届、SSS・PhilHealth・Pag-IBIGへの登録抹消などがあります。なかでもBIRのタックスクリアランス取得は難易度が高く、過去の申告内容の詳細な審査や追加書類の要求が発生することが多いため、完了まで数ヶ月から2年程度かかるケースも珍しくありません(近年は短縮の傾向が見られます)。
専門家(会計事務所・法律事務所)への委託費は、清算の複雑さや滞留している税務問題の有無によって大きく変動しますが、₱500,000〜1,500,000が目安の範囲です。過去の申告漏れや罰則対応が必要な場合はさらに費用がかさむことがあります。
清算に伴う実費・注意点
BBIRの審査の過程で、過去の申告漏れや計算誤りが発覚した場合には、追徴税・罰金・利息が課されることがあります。フィリピンのBIRによるペナルティは重く、課税額の25%のサーチャージ、年12%の延滞利息、数万ペソ程度のコンプロマイズ(罰金)が課されるため、長期間の放置は大きなリスクになります。
従業員の解雇にあたっては、労働法(Labor Code of the Philippines)の規定に従い、法定の手続き(書面による通知・DOLEへの報告)とSeparation Pay(退職金)の支払いが必要です。解雇の種類によって退職金の計算方法が異なり、Redundancy(余剰人員整理)の場合は勤続1年ごとに月給1ヶ月分、Retrenchment(経営縮小)の場合は勤続1年ごとに月給0.5ヶ月分(いずれか高い方)が法定退職金として発生します。詳細は個別の状況によって異なるため、専門家への確認を推奨します。
清算が完了するまでの間も、BIRへの月次申告(ゼロ申告を含む)やLGUへの対応など、最低限のコンプライアンス維持が必要です。専門家への委託は清算が完了するまで継続的に必要となるため、その費用をあらかじめ見込んでおくことが現実的です。
おわりに
フィリピンでの事業運営コストは、「安い国」というイメージよりも現実は重く、適切な事前試算なしに進出すると想定外の固定費負担に直面することがあります。オフィス賃料・電気代・専門家委託費・コンプライアンス費用などが積み重なり、中小規模の法人でも相応の固定費負担が生じることをご理解いただけたかと思います。こうしたコストを現実的な数字で見積もることが、フィリピンでの事業を安定させるための第一歩です。
それでも、優秀な人材の確保やアジア市場へのアクセスなど、フィリピンならではの強みを活かせる事業であれば、コストを上回るリターンを得ることは十分に可能です。
フィリピンでの法人設立から会計・税務の維持管理、撤退対応まで、ご不明な点やご自身のケースへの当てはめについては、当社にお気軽にご相談ください。