フィリピンでは、取締役就任に際して最低1株の株式を保有しなければならないという独自のルールが存在します。本記事では、この要件をクリアしつつ、日本側の権利を安全に保護するための仕組みである「信託契約」と「ノミニー株主」について、実務的な視点から詳しく解説します。

信託契約(Deed of Trust)とは

信託契約(Deed of Trust)とは、法的な名義上の所有者(受託者)と、実質的な権利を持つ所有者(委託者・受益者)を切り分けるための契約です。フィリピンに進出する日系企業の実務においては、現地の個人や駐在員の名義で株式を保有させる際に、株式の実質的な所有権が日本の親会社(または投資家)にあることを法的に明確にするために締結されます。

たとえ名義上は個人の持ち株であっても、信託契約を結んでおくことで、配当を受け取る権利や議決権を行使する権利は日本側にあることを証明する、非常に重要な文書となります。

ノミニー株主とは

ノミニー株主(Nominee Shareholder)とは、実質的な所有者に代わって、あくまで形式上・名義上の株式を保有する個人のことを指します。

フィリピンでノミニー株主が必要となる最大の理由は、Revised Corporation Code(改正会社法)における「取締役は就任期間中、自社の株式を最低1株保有しなければならない」という要件にあります。日本の親会社が100%出資の完全子会社を設立したくても、法人である親会社が全株式を保有してしまうと、個人の取締役が1株も持てなくなってしまいます。この問題を解消するために、取締役個人がノミニー株主として最低1株を名義上保有する仕組みが用いられます。

ここで実務上よく疑問に挙がるのが、「その1株は、駐在員などの取締役個人がポケットマネー(自己資金)で出資して買うのか?」という点です。実務上は、取締役個人が自己資金を出して株式を購入することはほぼありません。対象となる1株の資本金は、実質的なオーナーである日本の親会社が拠出します。つまり、取締役は文字通り「名義を貸しているだけ(ノミニー)」の存在です。

なぜ信託契約とノミニー株主が有効か

個人の自己資金で出資していない以上、ノミニー株主がその株式から個人的な利益を得ることは本来の趣旨から外れます。しかし、法的な名義は個人にある状態であるため、この「実態」と「法的な名義」のズレを埋め、会社を守るために信託契約が実務上極めて重要になります。

配当・議決権の取り扱いと権利放棄

株式を保有していると、通常は配当を受け取る権利や議決権が発生します。しかし、ノミニー株主は自己資金で出資をしていないため、実務上は配当を受け取らない(または受け取る権利を放棄し、親会社に引き渡す)のが一般的です。

もし信託契約を結ばずに口約束だけで名義を借りていた場合、後になってノミニー株主から「法律上は私が株主だから、配当を支払ってほしい」「議決権は私にある」と不当な要求をされるリスクが生じます。信託契約を締結し、配当や議決権の行使に関する取り決めを明文化しておくことで、こうしたトラブルを未然に防ぐことができます。

取締役交代時の手続きの煩雑さの回避

ノミニー株主と信託契約のセット運用は、駐在員などの取締役が交代する際の手続き負担を大幅に軽減する意味でも有効です。

フィリピンでは、株式を他者に譲渡する際の手続きが非常に煩雑です。通常であれば、BIRにてキャピタルゲイン税や印紙税の申告・納付を行い、eCAR(電子税務証明書)を取得するという、時間と手間のかかるプロセスが必要です。社内で対応する場合は労力を要し、外注する場合もコストがかかります。さらに、急な帰任や退職などが発生した場合は、手続きが滞ってしまうリスクもあります。

信託契約があることで、「この1株は個人の資産ではなく、実質的には親会社のものである(本人は配当を受け取らない、個人的な利益を得ない)」ことが法的に証明されます。これにより、後任への株式譲渡が単なる「名義人の変更手続き」であることが明確になり、eCAR取得などの煩雑な手続きを回避できます。実務上、複雑な関連書類をいくつも用意せずとも、まずはこのDeed of Trustをしっかりと締結し、会社側で保管しておくことで、交代時の無駄な手間やリスクの大部分を解消することが可能です。

実質的支配者(Beneficial Owner)との関係

ノミニー株主の背後で、資本金を拠出し真の権利を持つ日本の親会社や投資家のことをBeneficial Owner(実質的支配者)と呼びます。

ここで注意が必要なのは、ノミニー株主を利用する目的は「真のオーナーを隠すこと」ではないという点です。近年、マネーロンダリング対策など国際的な透明性向上の流れを受け、SECは規制を強化しています。毎年SECに提出するGeneral Information Sheet(GIS)およびHarborシステムにおいて、Beneficial Ownership Declaration(実質的支配者の申告)が義務付けられています。

名義を借りているからといって真の所有者が免責されるわけではなく、SECに対しては「この1株の名義はA氏だが、実質的支配者は日本のB社である」と正確に申告しなければなりません。ノミニー株主の活用は、あくまで会社法上の要件クリアと手続きの円滑化を目的とするものであり、コンプライアンスの観点からは当局への適切な情報開示が求められます。

おわりに

フィリピン特有の会社法要件を満たしつつ、将来の取締役交代をスムーズに進めるためには、ノミニー株主の利用と信託契約の締結が実務上欠かせません。「個人のポケットマネーで出資していない」「配当は受け取らない」という実態があるからこそ、それを法的に裏付ける信託契約の存在が、会社の手間を省き、不要なトラブルを防ぐ盾となります。

既存のフィリピン法人についても、そもそも信託契約とノミニー株主の制度を知らずに運営されているケースが多く見受けられます。合法的な制度ですので、上手に活用して不要な事務負担やリスクを削減することをお勧めします。手続きや締結方法などについてご不明な点がございましたら、お気軽にご相談ください。