フィリピンでは、取締役就任に際して最低1株の株式を保有しなければならないという独自のルールが存在します。本記事では、この要件をクリアしつつ、日本側の権利を安全に保護するための仕組みである「信託契約」と「ノミニー株主」について、実務的な視点から詳しく解説します。

信託契約(Deed of Trust)とは

信託契約(Deed of Trust)とは、法的な名義上の所有者(受託者)と、実質的な権利を持つ所有者(委託者・受益者)を切り分けるための契約です。フィリピンに進出する日系企業の実務においては、現地の個人や駐在員の名義で株式を保有させる際に、株式の実質的な所有権が日本の親会社(または投資家)にあることを法的に明確にするために締結されます。

たとえ名義上は個人の持ち株であっても、信託契約を結んでおくことで、配当を受け取る権利や議決権を行使する権利は日本側にあることを証明する、重要な文書となります。

ノミニー株主とは

ノミニー株主(Nominee Shareholder)とは、実質的な所有者に代わって、あくまで形式上・名義上の株式を保有する個人のことを指します。

フィリピンでノミニー株主が必要となる最大の理由は、Revised Corporation Code(改正会社法)にあります。同法第22条は、取締役を「会社の株主名簿に登録された株主の中から」選任すると定め、あわせて1株の保有を失った取締役はその地位を失うと規定しています。ポイントは、実質的に持っていればよいのではなく、株主名簿(Stock and Transfer Book)に自分の名前で登録されている必要があるという点です。

そのため、日本の親会社が100%出資の完全子会社を設立したくても、法人である親会社が全株式を保有してしまうと、個人の取締役が1株も持てなくなってしまいます。この問題を解消するために、取締役個人がノミニー株主として最低1株を名義上保有する仕組みが用いられます。

ここで実務上よく疑問に挙がるのが、「その1株は、駐在員などの取締役個人がポケットマネー(自己資金)で出資して買うのか」という点です。実務上は、取締役個人が自己資金を出して株式を購入することはほぼありません。対象となる1株の資本金は、実質的なオーナーである日本の親会社が拠出します。つまり、取締役は文字通り「名義を貸しているだけ(ノミニー)」の存在です。

なぜ信託契約とノミニー株主が有効か

個人の自己資金で出資していない以上、ノミニー株主がその株式から個人的な利益を得ることは本来の趣旨から外れます。しかし、法的な名義は個人にある状態であるため、この「実態」と「法的な名義」のズレを埋め、会社を守るために信託契約が実務上極めて重要になります。

配当・議決権の取り扱いと権利放棄

株式を保有していると、通常は配当を受け取る権利や議決権が発生します。しかし、ノミニー株主は自己資金で出資をしていないため、実務上は配当を受け取らない(または受け取る権利を放棄し、親会社に引き渡す)のが一般的です。

もし信託契約を結ばずに口約束だけで名義を借りていた場合、後になってノミニー株主から「法律上は私が株主だから、配当を支払ってほしい」「議決権は私にある」と不当な要求をされるリスクが生じます。信託契約を締結し、配当や議決権の行使に関する取り決めを明文化しておくことで、こうしたトラブルを未然に防ぐことができます。

取締役交代時に、信託契約だと何が変わるか

駐在員の任期満了や退職に伴い、ノミニー株主となっている1株を後任へ引き継ぐ場面が必ず訪れます。ここで押さえておきたいのは、信託契約があってもBIRでの手続きそのものが不要になるわけではないという点です。

フィリピンでは、非上場株式の名義を株主名簿上で書き換えるにあたり、BIRが発行するElectronic Certificate Authorizing Registration(通称eCAR/電子登録許可証)の提示が求められます。BIRはRevenue Memorandum Circular No. 37-2012において、証券取引所を通さない株式の譲渡についてeCARの取得を必須と明示しており、Revenue Regulations No. 3-2019でも、名義変更を行う機関はBIRが発行したeCARのみを受け付けるものとされています。実務上も、Corporate Secretaryや監査人はeCARがなければ株主名簿への記帳に応じないのが通常です。

信託契約により効果が発揮されるのは、税金の有無の部分です。通常の株式売買であれば、譲渡益に対する15%のCapital Gains Tax(譲渡所得税)と、額面200ペソあたり1.50ペソのDocumentary Stamp Tax(印紙税)が発生します。一方、ノミニー間の引き継ぎは、実質的な所有者(親会社)が変わらない単なる名義の移転です。売買でも交換でも贈与でもないため、これらの課税は生じないという整理になります。この整理を裏づける唯一の証拠が、信託契約と、その1株の払込みを親会社が行い会社の資産として計上してきた記録です。

この取扱いについて、BIRは2026年6月30日付のRevenue Memorandum Circular No. 72-2026で一歩踏み込んだ見解を示しています。同通達はゴルフ会員権などのProprietary Club Share(法人保有の会員権株式)を対象としたものですが、受益的所有権が法人にとどまったままノミニー間で名義が移る取引は売買・交換・贈与にあたらないことを明示し、従来必要とされていた事前の確認ルーリング(Confirmatory Ruling)を不要とし、直接RDOでeCARを申請してよいとしました。あわせて求められる書類として、前任・後任ノミニー間の公証済みDeed of Assignment、前任分と後任分それぞれの信託契約、当該株式の払込みを法人が行い法人の資産として帳簿計上されていることの証憑、そして金銭の授受も受益的所有権の移転も伴わない旨のSecretary’s CertificateまたはBoard Resolutionが挙げられています。

同通達はクラブ会員権を直接の対象としており、事業会社の一般株式にそのまま適用されると断定できる性質のものではありません。ただし、示された判断枠組みと必要書類の考え方は、ノミニー株主の1株を引き継ぐ場面でも参考になります。取扱いは所轄RDOによって差が出ることがあるため、実際に動かす前に管轄RDOの求める書類を確認しておくのが無難です。

整理すると、信託契約があることで手続きが「ゼロになる」のではなく、課税が生じない引き継ぎとして処理でき、eCAR申請の場でその根拠を示せるようになります。逆に信託契約がなければ、名義変更を親会社への贈与や有償譲渡と見られ、譲渡所得税や贈与税を課されるリスクを抱えたまま交渉することになります。急な帰任が決まってから証拠書類を揃え始めると、この交渉に時間を取られます。

実質的支配者(Beneficial Owner)との関係

ノミニー株主の背後で、資本金を拠出し真の権利を持つ日本の親会社や投資家のことをBeneficial Owner(実質的支配者)と呼びます。

ノミニー株主を利用する目的は「真のオーナーを隠すこと」ではありません。SECは2025年12月22日にMemorandum Circular No. 15, Series of 2025(Beneficial Ownership Disclosure Rules of 2026)を公表し、2026年1月1日から施行しました。実務上、影響が大きいのは次の点です。

  • 実質的支配者の判定基準が、議決権・株式・資本の25%以上から20%以上に引き下げられた
  • 実質的支配者の申告がGeneral Information Sheet(GIS)から切り離され、2026年1月30日に稼働したHARBOR(SECの実質的支配者登録システム)を通じた提出に移行した
  • 無記名株式(Bearer Shares)の発行・販売・提供が明確に禁止された
  • ノミニーとして発起人・取締役・株主となった者は、自らがノミニーであることと本人(Nominator)の氏名をSECに開示する義務を負う。Nominatorが法人である場合は、その法人の実質的支配者まで遡って開示する
  • 罰則が強化され、法人に対しては最大200万ペソ、加えて取締役・役員個人にも最大100万ペソの罰金と5年間の役員就任禁止が科されうる。社内に文書化された確認手続きが存在しないこと自体が、注意義務違反の一応の証拠として扱われる

名義を借りているからといって真の所有者が免責されるわけではなく、SECに対しては「この1株の名義はA氏だが、実質的支配者は日本のB社である」と正確に申告しなければなりません。ノミニー株主の活用は、あくまで会社法上の要件クリアと手続きの円滑化を目的とするものです。

外資規制の回避には使えない

ここまで説明してきたノミニー株主は、100%外資が認められる業種において、取締役の1株保有要件を満たすためのものです。外資比率規制のある業種で、フィリピン人名義の株式を実質的に日本側が支配するために信託契約を使う行為は、まったく別の話になります。

Commonwealth Act No. 108(通称Anti-Dummy Law)は、国籍要件を潜脱する目的で名義を貸す行為を犯罪としています。処罰されるのは名義を貸したフィリピン人だけではありません。その利益を享受する外国人側も対象です。60:40規制のかかる業種で、フィリピン人株主が実際には資金を拠出しておらず、配当も議決権も日本側が握っているという実態があれば、その信託契約は権利を守る盾ではなく、むしろ違法性を裏づける証拠になり得ます。

前述のとおり、実質的支配者の情報はHARBOR上に集約され、20%という低い閾値で名寄せされる方向に進んでいます。かつて「書面に残さなければわからない」という前提で成り立っていた構造は、成り立ちにくくなっています。規制業種への進出を検討する場合は、ノミニーの活用ではなく、そもそも当該業種の外資規制がどうなっているかの確認から始めるべきです。当社サイトの「フィリピンの外資規制の基礎」もあわせてご参照ください。

おわりに

フィリピン特有の会社法要件を満たしつつ、将来の取締役交代をスムーズに進めるためには、ノミニー株主の利用と信託契約の締結が実務上欠かせません。「個人のポケットマネーで出資していない」「配当は受け取らない」という実態があるからこそ、それを法的に裏付ける信託契約が、交代時の課税リスクを抑え、株主間のトラブルを防ぐ盾となります。

既存のフィリピン法人についても、そもそも信託契約とノミニー株主の制度を知らずに運営されているケースが多く見受けられます。100%外資の子会社であれば合法的な仕組みですので、上手に活用して不要な事務負担やリスクを削減することをお勧めします。信託契約の締結方法、ノミニー交代時のeCAR手続き、HARBORでの実質的支配者の申告などについてご不明な点がございましたら、お気軽にご相談ください。

なお、本記事の内容は執筆時点の情報に基づいています。BIR・SECの取扱いは変更されることがあるため、実際の手続きにあたっては最新の要件をご確認ください。