フィリピンで会社を設立する際、「住所はどうするか」という問いは、単なるオフィス探しではありません。登記住所の選択は、その後の行政手続きや税務コンプライアンスを左右する経営判断であり、「とりあえず」で決めると設立後の許認可取得でつまずいたり、移転の際に想定外のコストと時間を要することになります。本記事では、フィリピンにおける登記住所の法的な意味、オフィス形態の選び方、設立前の契約実務、そして移転の現実について解説します。

登記住所とは

登記住所とは、SEC(証券取引委員会)に提出する定款に記載される会社の本店所在地のことです。フィリピンにおいて登記住所は、2つの重要な管轄(Jurisdiction)を決定します。

一つ目は、LGU(Local Government Unit:地方自治体)の管轄です。営業許可証であるBusiness Permitを取得する市役所が、登記住所のある市区によって決まります。マカティ市、タギッグ市(BGC)、パサイ市など、エリアによって地方税の税率や手続きの煩雑さが異なります。二つ目は、BIR(Bureau of Internal Revenue:内国歳入庁)のRDO(Revenue District Office:所轄税務署)の管轄です。納税地となる税務署がここで決まります。都市部ほどRDOが細かく設定されており、日系企業の登記が多いマカティ市内だけで4つのRDOが存在します。後述する移転の手続きでもこのRDOが大きく影響してきます。

また、登記住所は原則として商業用物件(Commercial)である必要があります。自宅コンドミニアム(居住用物件)を本店として登記することはフィリピンでは原則認められておらず、居住用物件で強引に登記しようとしてもLGUからのBusiness Permitが下りず、営業を開始できません。

登記住所が必要になるタイミング

会社設立を決めたら、登記住所は真っ先に確定させる必要があります。設立の第一歩であるSECへの登録申請時に、定款に記載する具体的な住所(番地・部屋番号まで)が必要になるためです。「会社ができてからオフィスを借りる」のではなく、「オフィスを確保してから会社を作る」という順序になります。

また、資本金を払い込むためのTreasurer-in-Trust Fund Account(一時口座)を銀行で開設する際にも、予定している登記住所の申告を求められます。銀行によっては、賃貸契約書やLOI(Letter of Intent:賃貸契約の意向表明書)の提出を求められるケースもあります。

オフィスの形態と選び方

フィリピン進出における主なオフィスの選択肢は、一般オフィス(賃貸)、サービスオフィス、バーチャルオフィスの3種類です。それぞれの特徴を以下の表にまとめました。

比較項目一般オフィス(賃貸)サービスオフィスバーチャルオフィス
概要自社専用のオフィス
通常は内装工事が必要
家具・ネット・受付完備
即入居・登記が可能
住所貸しのみ
物理的な執務スペース無し
メリット自由な内装設計が可能
大人数・長期利用なら◎
初期投資が少なく、契約期間や人数の変更に柔軟コストを最小限に抑制可
無人・在宅メインなら◎
インターネット自社で手配必要完備、家賃に含むNA
水道光熱費自社で手配必要完備、家賃に含むNA
会議室オフィスによる
収容人数等の柔軟性×
都度予約・支払必要
収容人数等の柔軟性◎
NA
契約期間数年数か月~1年数か月~1年
初期費用目安敷金数か月 + 前家賃数か月 + 内装工事費 + 家具敷金数か月 + 前家賃数か月敷金数か月 + 前家賃数か月
月額家賃目安₱800〜1,500/㎡ (都心部)₱5,000〜15,000/席 or
₱5,000~20,000/個室㎡
₱3,000~5,000
日系・外資企業への慣れオフィスによる多数入居しているため◎多数入居しているため◎

設立から数年の人員規模がある程度見通せる場合には、一般オフィスの賃貸も選択肢になります。ただし、設立前の段階で事業の立ち上がりを正確に見込むのは難しく、担当者が設立前からフィリピンに常駐しているケースも稀なため、土地勘やオフィス情報が限られた中で適切な物件を選ぶのはハードルが高いのが現実です。

そのため、設立時点ではサービスオフィスやバーチャルオフィスを選択する日系企業が多くなっています。人員の増減に応じて柔軟に契約を変更できる点、インフラが整っていて入居後すぐに業務を開始できる点、ロケーションが総じて良い点が主な理由です。平米単価では割高ですが、初期投資の少なさや立ち上げ期の柔軟性を考えれば、特に初期段階では優位性があります。

よく見られるパターンとしては、設立登記前はバーチャルオフィス契約で住所を確保し、登記後に駐在員の派遣やフィリピン人の採用が始まった段階でサービスオフィス(個室)に移行、さらに人員が増えてフィリピンへの知見が蓄積された段階で一般オフィスへ移行するというものです。バーチャルオフィスからサービスオフィスへの移行は同一拠点内で完結することが多いため登記住所の変更は不要ですが、一般オフィスへ移行する場合は登記住所の移転手続きが発生します。

設立登記前の契約実務

会社設立には住所が必要ですが、設立前には「フィリピン法人」という法的人格がまだ存在しません。「存在しない会社でどうやって契約するのか」という、いわゆる”鶏が先か卵が先か”問題が生じます。実務上は次のような流れで対処するのが一般的です。

まず、日本の親会社名義で物件オーナーと賃貸契約または予約(Letter of Intent / Reservation Agreement)を締結します。通常はこのタイミングから家賃が発生しますが、予約段階では家賃が生じない物件や無料期間が設けられているケースもあります。バーチャルオフィスであれば費用発生を最小限に抑えやすいです。

次に、確保した住所を使ってSECに会社設立登記を行います。登記が完了したら、親会社名義で締結していた賃貸契約を新設フィリピン法人名義に変更(譲渡)する覚書を締結するか、あらためてフィリピン法人名義で賃貸契約を締結します。これにより、正式にフィリピン法人の費用として計上・処理できるようになります。フィリピン支店や駐在員事務所の場合も同様の流れです。

このプロセス自体はフィリピンでは珍しくありませんが、物件オーナーによっては名義変更の手続きに不慣れな場合があります。契約前に「設立後に名義変更が可能か」を必ず確認しておくことをお勧めします。

登記住所の移転は想像以上に大変

フィリピン進出において最も強調しておきたいことの一つが、「登記住所の変更(移転)は非常に手間がかかる」という現実です。「会社を一度閉鎖して新しく作り直す」に近い労力がかかると言っても過言ではありません。具体的にどのような手続きが発生するか、機関ごとに見ていきます。

SEC

住所変更の起点となる手続きです。定款に記載された住所を変更するには、取締役会の過半数の承認に加え、株主の3分の2以上の承認(株主総会決議)が必要です。その上で、取締役会決議書や改正定款を作成してSECに提出し、審査・承認を受けます。GISの住所情報も更新が必要です。

LGU

特に「市」をまたぐ移転(例:マカティ市からタギッグ市)では手続きが大幅に複雑になります。旧住所(移転元)では単に「引っ越します」と伝えるだけでは済まず、Retirement of Business(事業廃止)の手続きが必要です。その際、過去の売上申告の漏れや地方税の未納がないか厳しくチェックされ、場合によっては追徴課税が発生します。移転先では、ゼロからBusiness Permitを取得し直すことになり、賃貸契約書やLocational Clearance(立地証明)など、設立時と同様の書類が求められます。

BIR-RDO

最も時間と労力を要するのがBIRの手続きです。管轄RDOが変わる場合、移転元・移転先それぞれで手続きが必要になります。

移転元のRDOでは、登録情報の移管申請(BIR Form 1905)を行いますが、書類を提出するだけでは終わりません。まず、システム上で「申告書が未提出」や「税金が未納」となっているOpen Cases(未解決案件)がないかチェックされます。実際には納税済みであっても、システムへの反映漏れでOpen Casesとして残っていることが多く、その場合は過去の納税証明書を一件ずつ提示して消し込む作業が発生します。さらに、他管轄への移動にはTax Clearance(税務クリアランス)の取得が必要で、このプロセスで簡易的な税務調査(Tax Mapping)が行われることもあります。すべてがクリアにならない限り、旧RDOは新RDOへデータを転送しません。また、旧住所が記載された未使用の領収書・請求書は旧RDOに持ち込んで廃棄または使用終了スタンプの押印手続きが必要です。

移転先の新RDOでは、新しい住所が記載された登録証(COR:Certificate of Registration)を取得し、Authority to Print(ATP)を申請して新住所入りの領収書・請求書をBIR認定の印刷業者に発注します。印刷完了までには数週間かかり、印刷コストも発生します。

SSS・PhilHealth・Pag-IBIG・DOLE

従業員の福利厚生に関わる機関でも住所変更の届出が必要です。SSS・PhilHealth・Pag-IBIGには住所変更届(Employer Data Change Request等)を提出し、管轄支局が変わる場合はレコードの移管手続きが必要になることがあります。DOLE(Department of Labor and Employment:労働雇用省)については、事業所登録(Rule 1020)の変更届を提出し、管轄のDOLEオフィスへ通知します。

これら全てを完了させるには、スムーズに進んでも数か月、場合によっては半年以上かかります。専門家への委託費用も相応に発生します。設立当初はコストを抑えつつも、少なくとも1〜2年は移転せずに済む場所、または同じビル内で拡張が可能なサービスオフィスを最初から選んでおくことを強くお勧めします

おわりに

登記住所は、設立手続きのスタートラインであると同時に、その後の税務コンプライアンスや行政対応に長く影響し続ける判断です。コスト面だけでなく、将来の拡張性や移転リスクも含めて選ぶことが、後々の無駄を省く最善策です。

当社では、設立前の段階からご相談を承り、将来も見据えたアドバイスをしています。設立登記および移転手続きのサポートも行っていますので、お気軽にご相談ください。