フィリピンに現地法人や支店を構える日系企業にとって、日本本社からの出張者の派遣は日常的な業務の一部です。技術指導やプロジェクトの立ち上げ、定期的な視察など、さまざまな目的でフィリピンへ渡航する機会があります。
このように国境をまたいで働く場合に見落とされがちなのが、「給与に対する課税権がどちらの国にあるのか」という問題です。フィリピンで働いた期間に対応する給与は、原則としてフィリピンで所得税の課税対象となります。しかし、一定の条件を満たせばフィリピンでの課税が免除される仕組みが存在します。これが「短期滞在者免税」です。本記事では、日比租税条約に基づく短期滞在者免税の要件と、実務上の注意点について解説します。
日比租税条約における「短期滞在者免税」とは
短期滞在者免税の基本概念
大原則として、フィリピン国内で提供した役務(労働)に対する給与所得は、フィリピンで所得税の課税対象となります。しかし、短期間の出張のたびにフィリピンで納税手続きを行うことは、企業にとっても個人にとっても大きな負担です。
そこで、日本とフィリピンの間で締結された「日比租税条約」において、一定の条件を満たす短期滞在であれば、フィリピンでの課税を免除し、居住国(日本)でのみ課税するというルールが設けられています。これにより二重課税を防ぎ、両国間の経済交流を円滑にすることが制度の目的です。
免税適用となるための「3つの要件」
「183日ルール」という名称で広く知られていますが、実際には滞在日数以外にも要件があります。日比租税条約(第15条第2項)において、短期滞在者免税の適用を受けるためには、以下の3つの要件をすべて満たす必要があるとされています。条約上の正式な表記と、日本からフィリピンへの出張者に当てはめた場合の実務的な解説を併記します。
要件1:滞在日数の制限
(a) 報酬の受領者が当該年を通じて合計百183日を超えない期間当該他方の締約国内に滞在すること。
出張者がフィリピンに滞在する日数が、1月1日から12月31日までの暦年において、合計183日以内であることが求められます。
要件2:給与の支払者
(b) 報酬が当該他方の締約国の居住者でない雇用者又はこれに代わる者から支払われること。
出張者への給与が、フィリピン法人ではなく、日本の所属企業(日本本社など)から支払われていることが必要です。フィリピン側の法人が給与を直接支払っている場合は、この要件を満たしません。
要件3:給与の負担者
(c) 報酬が当該他方の締約国内に雇用者の有する恒久的施設又は固定的施設によつて負担されるものでないこと
出張者の給与相当額が、出張先であるフィリピン法人やフィリピン支店に請求(リチャージ)されておらず、日本の所属企業が自社の経費として負担していることが必要です。
これら3つの要件のいずれか1つでも満たさない場合は免税の対象外となり、フィリピンでの労働日数に対応する給与について、フィリピンで課税されることになります。
実務上でよくあるご質問(FAQ)
183日のカウントは「暦年」か「直近12ヶ月」か?
日比租税条約においては、「当該暦年(1月1日〜12月31日)」が基準となります。比較的新しい租税条約では「いかなる12ヶ月の期間においても」という基準を採用している国もありますが、日比租税条約ではシンプルな暦年カウントです。したがって、年をまたいで出張する場合、1月1日で日数はリセットされます。ただし、複数回出張した場合は、同一暦年内の滞在日数をすべて合算して計算します。
日数のカウント方法は?
実務上、フィリピンに少しでも滞在した日は「1日」としてカウントされます。入国日・出国日はもちろんのこと、深夜到着や早朝出国であっても、その日はフィリピン滞在日として計算に含めるのが安全な実務対応です。移動日や現地での休日(土日・祝日)であっても、フィリピン国内に物理的に滞在している限りは日数に含まれます。
フィリピン法人に出張費(技術指導料等)を請求する場合は?
日本本社がフィリピン法人への技術支援などを行い、出張者の給与相当額や旅費を「技術指導料」や「出張費」としてフィリピン法人に請求するケースがあります。この場合、実質的にフィリピン法人がその給与を「負担」しているとみなされる可能性が高く、前述の要件3を満たさなくなると考えられます。要件を満たさないと判断された場合、たとえ183日以内の短期滞在であっても、フィリピンでの課税対象となります。グループ間の経費負担のルール設計には慎重な検討が必要です。
免税適用のために特別な申請は必要か?
不要です。配当やロイヤルティに日比租税条約の軽減税率を適用する場合には、BIRへの事前申請を経てCertificate of Entitlement to Treaty Benefit(租税条約特典適格証明書)を取得する手続きが必要です。一方、個人所得税に関する短期滞在者免税については、特段の申請手続きは不要であり、要件を満たしていれば自動的に免税の扱いとなります。
免税にならない場合、所属先の日本法人(日本)と二重課税になってしまうが?
183日を超過した場合や、給与相当額をフィリピン側に請求したことで免税要件を外れた場合、フィリピンで所得税が課せられます。一方で、日本の居住者である以上、日本でも同じ給与に対して課税されるため、そのままでは二重課税となってしまいます。
この場合、日本の確定申告において「外国税額控除」を適用することで、フィリピンで納付した税額を日本の所得税額から差し引き、二重課税を排除することが可能です。適用にあたっては、フィリピンで税金を納めたことを証明する書類(BIR Form 1700等)が必要となります。
フィリピン特有の実務上の注意点
税務調査は法人を通じて問題化する
現在のフィリピンの実務では、BIRが個人の出張者や駐在員を単独のターゲットとして税務調査を行うケースはほとんど見られません。BIRの税務調査はあくまで法人を対象として実施されるのが通常です。
しかし、法人の税務調査の過程で、日本本社からの多額の「出張費」や「業務委託費(技術指導料)」の請求が確認された場合、「これは実質的にフィリピンで働いた個人への給与ではないか」「源泉徴収税が漏れているのではないか」とBIRの担当官から指摘されるケースがあります。出張者のパスポートの入出国スタンプや、日本からの請求書の明細は、調査時のチェックポイントになり得ます。個人への直接的な調査はないとしても、フィリピン法人の税務リスクとして問題が表面化する点に注意が必要です。
「税務上の免税」と「就労資格」は別問題
税務とは管轄が異なりますが、フィリピンで業務を行う以上、就労ビザ(9(g)ビザ)やSpecial Work Permit(SWP、特別就労許可)といったBureau of Immigration(入国管理局)の規定も遵守しなければなりません。「短期滞在者免税が適用されるからビザも不要」というわけではありませんので、税務の対応と並行して、労務・入国管理面での手続きも確認することが重要です。
おわりに
「183日ルール」としてよく知られる短期滞在者免税ですが、実際には滞在日数だけでなく、「誰が給与を支払い、誰が負担しているか」という実態が問われる制度です。3つの要件をすべて満たして初めて免税が適用されます。出張者の税務対応や、フィリピン法人への費用請求に伴う税務リスクの検討などでご不明な点がございましたら、お気軽にご相談ください。