フィリピンで働く従業員にとって、有給休暇は給与に次いで関心の高い待遇項目です。一方、会社側からすれば制度設計次第でコストが大きく変わる領域でもあります。本記事では、法律で定められた最低ラインから、実務で広く採用されている任意休暇の水準、未消化分の買取り・繰り越しのルール、そして見落とされがちな運用上の注意点まで、順を追って解説します。
フィリピンにおける休暇の基本概念
まず理解しておきたいのは、フィリピン労働法(Labor Code of the Philippines)が義務付けている有給休暇は、日本と比べて非常に限定的だという点です。実務の場でよく登場する休暇には、大きく3種類があります。
- Service Incentive Leave(勤続報奨休暇 / SIL):法律で義務付けられた最低限の有給休暇
- Vacation Leave(有給休暇 / VL):会社が任意で付与する休暇
- Sick Leave(傷病休暇 / SL):会社が任意で付与する病欠用休暇
多くの日系企業がVLやSLを福利厚生として導入していますが、これらはあくまで会社の裁量または雇用契約上の合意によるものです。法律上の義務はSILのみである、という前提を最初に押さえておくことが、制度設計の出発点となります。
法定の付与日数:SIL年間5日
フィリピン労働法第95条に基づき、雇用主が付与しなければならない法定の有給休暇は以下の通りです。
- 名称: Service Incentive Leave(SIL)
- 付与日数: 年間5日間
- 付与要件: 1年間の継続勤務(One year of service)を経た従業員
「たった5日?」と驚かれることも多いのですが、これが法律上の最低ラインです。従業員が10名未満の事業所など一部の適用除外を除き、このSILの付与は基本的に義務となります。
なお、会社が独自に年間5日以上のVLやSLを有給で付与している場合、それらはSILの要件を満たしているとみなされます。つまり「SIL 5日 + 独自のVL」を重複して与える必要はなく、独自の休暇制度(VL/SL)の中にSILを包含して運用するのが一般的です。
任意支給のVLとSL:実態はどれくらいか
法律上は年間5日で足りますが、実際にフィリピンで事業を展開している企業の多くは、それを大きく上回る休暇を設けています。理由はシンプルで、優秀な人材の採用と定着のためです。求職者は給与だけでなくVLやSLの日数も他社と比較するため、法定ギリギリの水準では採用競争力を維持しにくいのが現実です。
企業規模や業界によって異なりますが、一般的な付与日数の目安としては、VL・SLともに年間10〜15日程度が広く採用されています。
また、フィリピンでは休暇を用途で明確に分けるのが一般的です。日本のように「体調が悪いので有給(VL)を使う」という運用も制度上は可能ですが、現地スタッフの感覚としては「病気のときはSLを使うのが当たり前」という意識が根強くあります。VLとSLをひとまとめにした制度よりも、用途を分けた制度設計の方が従業員にも受け入れられやすいでしょう。時はSLを使うのが当然」という感覚が根強いため、制度設計の際はVLとSLを分けて設定するケースが大半です。
未消化休暇の買取りと繰り越し
日本との大きな違いとして、「未消化休暇の買取り(Cash Conversion)」の扱いがあります。
法定SILの買取り義務
法定のSIL 5日分については、従業員がその年に消化しきれなかった場合、年末に金銭に換算して支払う(買い取る)義務が会社に生じます。この部分は会社の任意ではなく法的な義務である点に注意が必要です。
任意のVL・SLの取り扱い
一方、法定を上回る独自のVLやSLについては、未消化分を買い取る義務はありません。会社が選択できる主な方針は、翌年への繰り越し(Carry-over)、期限切れでの消滅(Forfeited)、現金での買取り(Cash Conversion)の3つです。
実態として、多くの企業は未消化休暇をすべて買い取るか、一定日数を上限として買い取る制度を採用しています。退職時に大量の有給が残っていると、業務への影響が避けられない場合があること、また従業員のモチベーション維持にもつながることが、その背景にあります。
税務上の取り扱い
なお未消化休暇の買取り(Cash Conversion)は、年間12日分までは非課税として取り扱われます。12日を超過した買取り分も、13th Month Pay(13ヵ月給与)などと合算して年間90,000ペソまでは非課税です。
- 法定SIL(5日分)の買取り:全額非課税となります。
- 法定を超えるVL/SLの買取り:原則は非課税となります。ただし、13th Month Pay(13ヵ月給与)などの「その他手当」と合算した総額が、年間90,000ペソの非課税枠を超えると、その超過部分は課税対象となります。
実務上の留意事項
一度付与したら減らすのは困難
フィリピン労働法には「Non-diminution of Benefits(既得利益の不減額原則)」という原則があります。会社が一度設けた手当や休暇などの待遇は従業員の既得権として保護されるため、後から会社の判断だけで撤回・縮小することは極めて困難です。「当初はVLを年間20日にしたが、業績が悪化したので15日に減らしたい」といった変更は、原則として認められません。
この原則の重さを踏まえると、設立当初から手厚い日数を設定するよりも、まずは保守的な水準からスタートし、事業の安定とともに段階的に充実させていく方が安全です。
試用期間中の扱いを明確にする
入社後通常6か月間はProbationary Period(試用期間)となります。多くの企業では、試用期間中は有給休暇の取得を認めず、欠勤した場合は「No Work, No Pay(ノーワーク・ノーペイ)」の原則に従って給与から控除するか、休暇取得を認めても無給扱いとするのが一般的です。
正規雇用(Regularization)のタイミングでVL・SLを付与するのか、あるいは試用期間中の勤続分まで遡って休暇日数を計算するのか——この点は従業員が誤解しやすいポイントでもあるため、就業規則の中であらかじめ明確にしておくことが重要です。
一括付与か月次付与か
休暇の付与方法には大きく2つのパターンがあります。
- Lump sum(一括付与):年初(1月1日など)にその年の全日数を付与
- Accrual basis(月次付与):勤務実績に応じて毎月少しずつ付与(例:毎月1.25日ずつ加算、計15日)
実務的な観点からはAcrual basisが推奨されます。一括付与の場合、年初に全休暇を消化してそのまま退職されてしまうリスクがあるためです。管理の手間は若干増えますが、リスクコントロールの面では月次付与の方が合理的です。こちらも就業規則に明記しておくことで、従業員との認識のズレを防げます。
おわりに
一口に有給休暇といっても、フィリピンでは法定と任意の区別、買取りの義務範囲、税務処理、付与タイミングと試用期間の関係など、押さえるべき論点が多岐にわたります。特に「最初に設定した日数を後から下げられない」という原則は、日本の感覚では見落としやすく、後になって困るケースが実際にあります。
当社では、有給休暇制度の設計を含む就業規則の策定もサポートしています。制度の作り方や現状の運用が適切かどうかについて、お気軽にご相談ください。